伐株山・万年山

玖珠盆地の山々はメサ(伐株山、万年山、大岩扇山、青野山など)、ビュート(川上岳、角埋山)と呼ばれるテーブル上の形をしたものが多く見れらます。玖珠町のようにメサ地形やビュート地形の山々が集まったところは、大変めずらしく、日本中どこを探しても他にはありません。


伐株山  

(きりかぶさん、きりかぶやま)は、大分県玖珠郡玖珠町の耶馬日田英彦山国定公園内にある標高685.5mの山である。
メサ(卓状台地)のうちでも浸食が進んだビュートと呼ばれる地形であり、二重メサの万年山(標高1,140.3m)とともに玖珠町のシンボル的な存在である。
『豊後国風土記』によると、玖珠(くす)という地名は、かつてこの地にあった大きな楠に因むものであるという。そして、伐株山は、大楠の木陰となって日が当たらずに困った住民がこの大樹を切り倒した後の切株であるという伝説がある。

●その昔、玖珠には天にも届きそうな楠の大樹が聳え立っていました。雲の上までのび朝日があがるときは、有明海までその影が届き、夕日を隠して四国まで影がかかる大木でした。玖珠の村は一年中陽が当たらないため、田畑の作物は育たず、村人も次々と病気になって大層困っておりました。そこで身の丈九百尺もある大男に三年三ヶ月かけてその大木を伐ってもらいました。それからは陽も当たり、豊かな作物も育ち、村人は今日まで豊かに暮らしています。

●楠の大樹が倒れた時、たくさんのできごとがありました。湖の淵が崩れて水がひた村(日田市)、どんなに大きくてもここまでは来るめー(久留米市)、その長い先っぽ(長崎市)、鳥の栖が落ちたところ(鳥栖市)、落ちた葉っぱの形(博多)、小さくクラっと揺れた(小倉)など、あなた方の町の名前が生まれました。今でも玖珠町にはこの伝説の証拠に、伐株山がそびえています。おしまい、おしまい。

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万年山  

耶馬日田英彦山国定公園。玖珠町を代表するメサ台地で山頂は溶岩台地で東西3キロにも及ぶ。高度1140メートルで山頂より中津市の八面山、由布市の由布岳九重連山、熊本県の阿蘇山、福岡県の彦岳、晴れて条件の良い時は、長崎の普賢岳まで望める。山頂では盆過ぎにマツムシソウも咲く。春に山頂より山ツツジ、など咲いて、5月にはミヤマキリシマが咲き乱れる。ミヤマキリシマの群生地は8合目付近に4ヶ所あって、花畑という地名の場所は約4町歩、吉武台には約3町歩に渡って咲く。気軽に軽装で訪れることが出来るので都市圏の市民には好評である。6月後半には、杉林の中で山あじさいが群生している。このことは、余り知れ渡ってない。日本の地質100選  

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