嵐山瀧神社 三日月の滝ものがたり

平安時代、京の都で醍醐天皇の御孫姫、小松女院と、笛の名手の清原正高少納言は恋をしましたが、身分の違いもあり正高卿は豊後の国に配せられます。 
小松女院は、正高卿の後を慕って十一人の侍女を伴い、はるばると当地の玖珠までやってきました。
やっとの思いで三日月の滝のほとりまでたどりついた時、1人の老樵に出会い尋ねてみれば、正高卿はすでに矢野氏の姫を娶り長野の館に住んでいると聞き、今は尋ねても詮なきことと旅に使った笠や衣を松の木の枝に掛け、
『笛竹のひとよの節と知るならば、吹くとも風になびかざらまし』
と辞世の歌を詠み、十一人の侍女と手を組み携えて、滝の水底に身を投じました。 
正高卿はこの話を聞いて驚き、里人と淵瀬を探し、小松女院と十一人の侍女の遺骸を引き上げ、三日月の瀧のほとりに御墓所を作り、神社を建て御魂を鎮められました。